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ジェフリードさんの英国 国会議事堂での講演

福島第一原発事故4 周年 ロンドン大会
講演:英国人画家ジェフ リード
平成27年3 月10日
会場:英国 国会議事堂


 平成24年3月福島第一原発事故が起こった時、私は8歳の息子と福島県に住んでいました。事故後、福島県内外の子供達と原発事故体験によるコラボレーション・ポートレート作品をつくりはじめ、「ストロング・チルドレン・プロジェクト」を立ち上げました。作品は100点におよびます。

 毎年3.11の時期に、3重災害(地震、津波、原発事故)を体験された被災者の方々に心を寄せることは、とても大切なことです。そして現在も毎日、数千人の原発従業者の方々がフクイチで収束作業を行っています。その中には、行方がわからなくなった方々もいます。実際、労働者の健康管理はどうなっているのでしょうか。2011年6月時点で、すでに1300人もの労働者の所在が不明となっています。彼らは現在もフクイチで働いているのか、そうでないのか、情報公開をする必要があります。

 今夜は、原発事故時に福島県に住んでいらしたご家族や子供たちのお話しをさせていただきます。現在も福島県に住んでいらっしゃる方、県外に避難された方、それぞれいらっしゃいます。私の説明よりも当事者の実際の言葉を聞いていただく方が、福島県で何が起きているのか、皆様により伝わると思います。

 まずは、大工さんになるために福島県に移住していた女性です。
 「川内村に夫婦で新居を建てました。子どもが2人生まれて家族4人になり,大工と建築設計の仕事を営みつつ,春には山菜を採り,夏には渓流で泳いでヤマメを釣って食べ,秋にはキノコやクリを採り,冬には薪で暖をとる,そのような暮らしをして,四季のめぐりや自然の恵みに何より生きる豊かさを
感じていました。」

 彼女の生活は、私の福島県での自然と共生きる体験を思い出させます。福島県には、人とのつながりを大切にしたパワフルで温かい地域社会が存在していました。それは、厳しい状況にある現在も続いています。

 次にフクイチから60 km 離れた郡山市在住の母親のお話です。
 「郡山市に帰って来て、丸2年になります。子供たちは、やっぱり、地元がいいようで、帰って来てからは、生き生きとしています。私も、帰って来てからは、なるべく放射能は、気にしないようにしていま
す。でも、やっぱり、水道水は、料理には使えません。もらった野菜も、わからないようにして捨てています。笑顔でもらい、ゴミ箱に捨てる。 今は普通になりました。放射能を気にしてるのは、おかしいような雰囲気があるからです。神奈川の短大に行っている娘が、就職の相談をしてきますが、帰って来るな
と言っています。さみしいですが、下の子供たちも、なるべく早く郡山から出そうと思っています。
特に真ん中の子供は、サッカーをしているので、砂ぼこりを吸います。すごく心配ですが、サッカーが大好きなので、やめろとは言えません。

 放射能に関するニュースを見ると、とても不安になり、やっぱり、避難した方がいいのか、悩みます。
でも、やっぱり、ここに居たいのです。ここが、一番安らげる場所なのです。
放射能さえなければ…。いつも思います。

 子供たちが、病気にならないよう祈りながら、ここに住んでいます。」

 子供たちのために福島県で生きていくということに違和感を感じる人もいるかもしれません。私は100名の子供たちとコラボポートレート作品を作りました。本当に素晴らしい子供たちで、それぞれ違う状況で生きています。

 だから、わかったような口をきくつもりはありません。しかし、取り巻く環境に限っていえば、不安定な環境で生活している子供たちが多くいると感じました。現在も23万人もの避難者がいて、84,794名が仮設住宅で生活しています。

 避難先で普通の生活が送れるよう支援することも、とても重要です。阪神淡路大震災のときは、4 年以内に90%の被災者が仮設住宅生活から出る事が出来ました。だからやろうと思えばできるはずです。しかし東北大震災では、この4 年間で仮設を出られたのはたったの30%です。「東日本大震災からの復興のための施策を実施するために必要な財源の確保に関する特別措置法」であるはずの復興税は、東日本大震災とは直接関係ない事業やプロジェクトに予算が使われいます。宇宙開発、自衛隊、沖縄の道路工事、反テロ対策、シーシェパード対策、東京のオリンピックスタジアムなどなど。

 被災者の生活再建のための直接支援が大変重要だと思います。子供達のためにも家族のためにも。

 次は、ある母親と子供の甲状腺検査についてのお話です。
 『当初は1週間も避難しておけば戻れるだろうと考えていました。まさかそのまま家に帰れなくなるとは思っていませんでした。同居していた親からは「政府が大丈夫と言ってるんだから大丈夫!」「二度と帰ってくるな!」と言われ、大喧嘩を経ての避難でした。その後、実はメルトダウンしていたこと、日本国民には知らせていないのにIAEA には1日2回も予測情報を報告していたということ等を知りました。福島原発から130 km も離れた茨城県に居たのに私も子どもも甲状腺に異常が発見されました。もう少し早く避難していれば子どもを病気にさせることもなかっただろうに、と後悔しています。』

 親たちは迷い悩み、罪の意識に苛まれ、苦しんでいることがおわかりになりますか。その苦しんでいる親達が非難されることがあります。 これは典型的な文化的遺伝(ミーム)です。福島県の問題を、精神的なこととすり替えられてしまうのです。母親達の心配が子供達の健康を害している原因だと。しかし、日本の過去の歴史に水俣病の闘いがあります。認知されるまで長い年月がかかりました。原爆投下による被爆者もそうです。だからこそ、私達は同じ過ちを犯してなりません。全力でサポートしていく必要があるのです。

 学術調査もまだ不十分な状況です。現在の福島県における調査結果については次の通りです。事故当時18歳以下の子供達に110件(2015年5月現在127件)の甲状腺がんが見つかり、87件の摘出手術が行われています。日本国立がんセンターによると、1999年から2008年に10歳から14歳の甲状腺がん率が10万人に0.2%と報告されています。専門家ではないので統計からの判断は非常に難しいのですが、福島県の場合、異常数ではないでしょうか。

 最後に、福島県の子供達、そして家族に今何が必要でしょうか。まずは、避難の権利、安全な環境で生活ができることです。健康被害に関しては、甲状腺のエコー検査のみではなく、血液検査やその他の関連マーカテスト、心臓、呼吸器などの検査も含めた健康診断を受けられるよう希望します。

 ある母親の心の叫びを聞いていただき、私の講演を終わらせていただきます。

 「国には, 放射能被爆による健康被害のリスクを認め,放射線物質により汚染を受けた地域に住んでいた住民に,避難の権利を認め,相応の支援や補償を行うべきであると思っています。」

 本日は有り難うございました。


Q&A: 英国における原発是非についての質疑応答

 問題は2 点あります。メディアによる原子力を取り巻く論議の欠落です。もう1点は、原発を推進の理由です。この二つは密接につながっています。同じ情報を何度も流すことによって、人々の意見は誘導されます。英国の主要報道機関は、素晴らしい人材をもち、一見公平な報道をしているかのように
も見えます。しかし、最終的には「原発は必要」という意見に辿り着かせます。これは非常に重大な問題です。

 今日紹介した母親達や、私を含めた他の親御さん達の体験から何も学ばなければ、英国でも子供達が危険にさらされることになります。日本の状況は、原子力規制機関、原子力産業、政府、そして重要なのは報道機関、いわゆる「原子力村」と呼ばれる組織が原発事故の情報を操作しているように見えます。果たして英国はどうでしょう。大して大きな違いはないと思います。たとえば、福島第一原発事故直後、英国政府機関と産業機関が事故の対応を検討し、「チェルノブイリ原発事故と同じではない」と合意したことをガーディアン紙が暴きました。「重要なことは、この事故はチェルノブイリとは違うことだ」と政府のチーフ科学者がBBC 放送で言っていたのを、私も福島県で聴きました。普段から私は陰謀説などは唱えることはありません。しかし、この件については偶然ではないと思います。英国政府の対応は、とても考えさせられます。

 私達は英国のメディアの責任について真剣に考える必要があると思います。ヒンクリー原発新設についても、議論が全くされていません。ヒンクリー原発の記者会見を見ました。事故が起こった場合、誰が責任を取るのかという質問がたった一回あっただけで、福島原発事故については一言もふれること
はありませんでした。英国の報道機関も日本と同じ過ちをおかす危険な状況にあります。英国で原子力に対する議論は全く不十分です。メディアは原子力について反対推進両方の意見を、もっと報道する責任があるのです。
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by fukushimakyoto | 2015-07-11 13:17 | 福島からのメッセージ | Trackback | Comments(0)

希望の灯 ~3・11の福島に捧げる~

  希望の灯 ~3・11の福島に捧げる~

見上げれば 
どこまでも高い空と
はるかな稜線。
凛とした空気の中に 
かすかに感じる春の気配。
3月の福島は
そりゃあ、風も冷たいし 
雪もまだまだ降ります。

そして今年も あの日がやってきました。
みなさん おつかれさま。
本当に おつかれさま。
どんな思いで みなさんは
あの日から今日までを過ごしてきましたか?

突然の地震と
その後に押し寄せた津波。
家ごと 家族ごと流されて
なにもかもさらっていった自然の脅威。
そして さらにあの悪夢の始まりとなった原発事故。
まさか だれが
こんな生き地獄を想像したでしょう・・・?
まさか だれが
こんな震災の真っただ中に放り出されることを、想像したでしょう・・・?

私はあの日から一週間、
着替えることもお風呂に入ることもできずに
避難所で過ごしました。
わずかな手荷物を持ち、
放射能被曝のくわしいことを何も知らされずに
やっとの思いで娘2人と東京にたどりついた夜、
心身ともに、ものすごい心労で動けなくなりました。


勇気あるジャーナリストたちが
3月12日には測定器を持って福島に入り、
原発周辺地区を測定しました。
そして3月下旬、
東京で彼らの現地報告を聞いた時、私は完全にうちのめされました。
「双葉町のある病院では、放射能計測器の針が最大値をふり切った。」
―つまり、もはや福島原発周辺は、測定できないほどの放射線量であるー
ことがわかったのです。
ニュースでは「ただちに健康への害はない」と何度もくりかえし報道されていました。
しかしその事実を知った時、もう福島には戻れない、と悟りました。
私には守らなければならない娘が、二人います。
ニュースを見れば、
この期におよんでも事実を隠す国や東電の体質。
福島県民に対して、
~人命を守る~という誠意ある対応を示さなかったことにも
またもや私はうちのめされました。

この国は人を守らないのだ!
この国は子どもたちを守らないのだ!

事故以前も
事故直後も
私たち住民は
原発がどういうもので
事故が起きたら、どう身を守ればいいのか
一切教えてくれていません。

私は、考えつくだけ、ありったけの方法で情報をあつめ
自力で避難してきた後、
ここ東京・多摩へたどりつきました。
昔お世話になった方々のなつかしい顔に出会って
それまでの緊張がほどけて
はじめて涙がこぼれました。
ああ、希望を捨てずにここまでがんばってきてよかった!
多摩に来れてよかった!と・・・。


仕事のことや
住む家のこと、
生活の糧のこと、
子どもたちのこと、
健康のこと、
心のバランスが乱れたこと、
さまざまな悩みがありました。

どうしようもない喪失感とともに
それまでの私と
あの日以後の私がくっきりと分かれてしまい、
自分が何者かわからなくて
数か月は、心から笑えない日が続きました。
~生きるとは、なんとつらいことだろう~ と思いました。
しかし、多くの命が一瞬にして奪われたあの震災の中で
私は、生き抜いています。
いまこうして ここに立っています。
そのことに私は、ただ、ただ感謝していこう!
そして福島をはなれるとき
新しいところでもがんばってね!と
引っ越しの手伝いをしながら、
私の背中を押してくれた、たくさんの友人や仲間たちの分も、私は生きていこう!
そう思いました。

多摩にいるみなさん!
また東京近辺にいるみなさん!
今日は、あの3・11からちょうど1年目。
どうぞ
ヒロシマ・ナガサキ・第五福竜丸・東海臨界事故に続き、
多くの被爆者をだしたフクシマを忘れないでください!
1年、3年、5年・・・と経っていくうち、
人は昔のことを忘れます。
しかし フクシマは終わっていません。
こうして1秒、2秒と時間が流れていく間にも
福島の子どもたちは被曝しています。
今、私のポケットには線量計があります。
ここ多摩で、0,15マイクロシーベルト。
私が2週間前に行った郡山市の道路上で0,8マイクロシーベルト。
室内で0,2マイクロシーベルトありました。
福島の子どもたちは、首からガラスバッジというものを下げて、
ただデータを取るために実験台にされながら被曝しています。
そういった事実をマスコミはなかなか伝えません。
知っている人は知っている。
知らない人は知らないまま 過ごしています。
それは外部被曝だけの話です。

実は食べ物や水からくる内部被曝もあります。
ひとたび体内に入りこんだ放射線は細胞を壊し続けます。
チェルノブイリの事故の後、たくさんの子どもたちが
そのために甲状腺がんや白血病になりました。
そういった過去を 私たちは忘れてはなりません。
フクシマはまだまだ 続きます。

日本のなかでは
それが3年後、5年後、10年後にどう影響していくか
いまはデータがないため、誰も断言できません。
わかっているのは、少しでも遠くへ
早くその地から離れたほうがいいということだけ。
 
しかし国が「福島は安全だ!」といい続ける限り、
強制避難区域以外に住んでいる人たちは、
他県へ移り住む補償がなされていません。
そのことが福島にいる人々を
いまもずっと苦しめています。

私が最も恐れるのは
そうしたことを世間の人々が忘れていくことです。
フクシマの事故が
何事もなかったかのように、風化されていってしまうことです。
3・11は単なるイベントではありません。
私がこうして話しているあいだにも
福島の子どもたち・福島の仲間たちは被曝しています。
その事実をどうか、
同じ日本人である皆さんには、感じてほしいと願います。
それはここ多摩も同じです。
それは日本中の子どもたち全員にのしかかっています。


3・11がめぐるたび、
そこに住む人々が希望をもって生きていけるように
ともにつながりましょう。

何十年かかっても
もとの美しい自然がとり戻せるように、
安心してふつうにお水が飲めて、
安心してふつうに空気が吸えるように
努力していきましょう。

エネルギーの在り方を、ともに考えていきましょう。

あらゆる人が人として
安心して生きられる社会を創りだしましょう。

実は避難者を受け入れる住宅が、都内にはたくさんありました。
しかし民間アパートの借り上げは、
昨年末で終わりました。打ち切られました。
つまり、あと1年、あと2年しか、避難者の家賃は補償されません。
その後避難した人は、
どこに生活の糧をもとめ、どこに住むのか、
自分で決めなくてはなりません。
そういったことが、今なかなか報道されていません。

大変になるのはこれからです。
被曝だけではない!
生活のすべてが不安に押しつぶされそうになりながら、
避難者は日々います。
孤立しながら生きています。
そういったことを 少し想像力を働かせていただきながら
声をかけてください。


原発のために誰かが犠牲になったり、亡くなることがないよう、
避難した私たちの苦しみを
また別の地域の誰かが同じように受けないよう、
本当のことを知ってください。
どうしたらいいか、ともに考えあいましょう。


今日は はるかな福島にむかって
あなたのなかの光を送ってください。
絶望的な中でも、希望だけは失わないで!と
はるかな福島に想いを送ってください。
その想いは
ひとすじの光となって
さまざまな形となって
福島にとどきます。
私はそのひとつの架け橋になります。
福島とこちらを結ぶ架け橋になります。

どうか いまをともに生きるみなさん
あなたの中の 愛や想いを、行動に変えてください。
決してフクシマを風化させてはなりません。
つながりあって
3・11の悲しみから立ち上がり、
だれもが笑いあえる未来を、ともにつくりましょう!


2012・3・11

星ひかり
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by fukushimakyoto | 2012-03-15 22:27 | 福島からのメッセージ | Trackback | Comments(0)

福島の現実とみなさんに伝えたいこと

福島の現実とみなさんに伝えたいこと

 みなさん、こんにちは。
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人と市民放射能測定所で理事をさせていただいております、阿部宣幸と申します。
まず、お話をさせていただく前に、みなさんにお詫びをしなければなりません。
3月11日、東北地方を震源とする東日本大震災が起きました。
それを受けて、福島第一原子力発電所で原発事故を起こしてしまいました。
これは、原発の稼働を許してきた、われわれ、福島県有権者の責任です。
全国のみなさん、大阪(京都)のみなさんに多大なご迷惑をおかけしていること、福島県有権者の一人として心よりお詫び申し上げます。
申し訳ありません。

原発事故は未だ収束していません。
これから途方もなく長い長い時間をかけて何らかの結果へ向かっていくのだと思います。
先祖から受け継ぎ、子孫へとさらに磨きをかけて返していかなければならない筈の故郷を、これほどまでに汚染してしまったこと、とても悔やまれます。

今日は福島の市民団体『子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク』の活動と7/17に開所致しました『市民放射能測定所』の活動を紹介しながら、現在の福島の状況をおはなしさせていただきたいと思います。

まず『子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク』ですが、やたらに長いので私どもは略して『子ども福島』と呼んでおります。
本日も『子ども福島』でお話しさせていただこうと思います。

子ども福島は5月1日に誕生しました。
すでに4月から活動はありましたが、正式に発足したのは5月1日です。
決起集会が行われ、後日すぐに政府交渉が行われました。

まずは子どもたちに対する年間20mSvの暫定基準の撤回を訴えました。
バスをチャーターし、文部科学省と原子力安全委員会まで出向き交渉をいたしました。
話を進めていくと、これには実際、不可思議なことが続きました。
原子力安全委員の方では20mSvという数字は文科省の指示であるといい、文科省では安全委員の指示であると、責任のなすりあいが起きました。
お役所ではままある事とは思いながらも、どこをどう質問しても互いに、指示していないというのです。
お茶を濁す感じではなく、明らかに違うという感じでした。
その後もさまざまな方向から質問をして後日文書にて回答をいただいたりを繰り返し、
ようやくだれの指示なのかが分りました。
なんと、驚くことに、それは福島県知事からの要請でした。
あの当時、菅総理大臣から福島県民の避難受け入れについて県の方へ提案があったそうなのですが、県知事がそれを断わり、子供を含めて20mSv/年まで県民に我慢させるという暫定基準を要請したということがわかりました。
これは、県外避難による福島県の人口減少を懸念した対応と思われます。
私たちは、なんとか子供たちだけでも助けなければならないと思い、交渉を重ねて参りましたが『年1mSvを目指す』という中途半端な約束にこぎつけるのがやっとでした。
この方向性は今も保たれ、福島県民にとって大きな障害となっています。
この根本があるために、いろいろなことが交渉の妨げとなっています。

たとえば、仮設住宅。
福島市内の高線量地域の住民を福島市内の別の場所に避難させ、受け入れる予定です。
空間線量が高い地区の住人を比較的線量の低い土地の仮設住宅へ移動させるといいます。
やらないよりはマシという程度の方針を立て対策しようとしています。
さらに、津波被害から避難されてきた方々などは非常に過酷な状況の仮設住宅に入居させられています。
福島市飯野地区にある仮設住宅などに入居させられていますが、その仮設住宅は飯野地区の平地で最も線量の高い土地に建設されています。
その土地の周辺の線量は2.0μSv/h前後あります。
きちんと測定をすることなく建設したとしか思えない杜撰さです。
お役所には指摘をしてもまるで話になりません。
南相馬の方々もとても気の毒な環境におかれています。
南相馬市の北部は実は福島市よりも線量が低いのです。
南相馬市の一部が高線量に汚染されているからと、こまやかな空間測定という配慮なしにひとまとめにされて、避難させられています。
線量の低い地元から線量の高い土地へ避難させられています。
行政はどういうつもりなのか、全く理解出ません。

そして子供たちの学校ですが、夏休み中に除染が行われ、すべての公立学校の校庭表土を削り終えました。
地表1cmでの計測では劇的な効果をあげました。
しかしながら、地表1mの地点においてはあまり変わりませんでした。
敷地外の近隣から飛んでくる放射線と校舎にしみ込んでいる放射性物質からの影響で高い位置の空間線量は劇的な低減の成果は得られませんでした。
コンクリート部分に関しても高圧洗浄等除染作業を施しておりますが、濡れている間は線量が下がるものの、乾燥すると元の線量に戻ってしまいます。
これは水の遮蔽効果により、濡れている間だけ30%程線量が下がるのだと思います。
セシウムが強力にコンクリートに付着していることがここから推測できます。
コンクリートに関してはあらゆる場所でこういったDATAが出ています。

ある幼稚園で砂場の除染をしました。
砂場の砂を掻き出して、すべて入れ替える作業を施しました。
作業終了後、線量計にて測定をしてみると、なぜか全く下がっていません。
これはオカルトであると、皆が首をひねりました。
そこで原因究明のためにリアルタイムで放射線を感知する測定器を使い、どこからどのように放射線が出ているのかを調査しました。
その結果、砂場を仕切っているコンクリートのブロックから強い放射線が出ていることがわかりました。
砂には放射性物質は含まれていませんでした。
続いて、園の雨樋の排水部の線量が高いということで、その近辺の土を削りました。
削っては測定し、削っては測定を繰り返しました。
しかし、30cmほど削っても全く線量が下がらないのです。
またもや謎が発生してしまいました。
残念ながら、そこも先ほど学んだ通りの理由でした。
同じように建物の基礎部分のコンクリートに線量計を近づけると、激しく反応しました。建物の基礎の部分から放射線が出ていました。
これにはとてもショックを受けました。
基礎だけを取りかえる事など出来ません。

みんな天を仰ぎました。
と、そのときみんなの目にもう一つ絶望的なものが映りました。
瓦でした。
木造建築の古い建物で、乗っている瓦は俗にいうコンクリート瓦というものでした。
現代の高級な瓦と違って、コーティングされていない粗目の瓦でした。
梯子をかけて屋根に登り、測定するとやはり高い数値が計測されました。

さらに庭木や植物。
あらゆる植物から高い放射線が出ていました。
生垣に使われている植物。
花壇の植物。
近くの林や山の中の植物。
道端の雑草、付近の苔に至るまで、ありとあらゆるすべての植物から高い線量が検出されました。

それまでは『福島をコツコツと除染し、きれいな街に戻したところに子どもたちを呼び戻すのだ』というメルヘンを夢見ておりました。
しかし、それは全く甘かったのだと思い知らされました。
この時は、これまでで最も心が折れそうな絶望の瞬間でした。

このときの除染作業時、市役所から委託された作業員たちは、マスクもせずにランニング姿で作業していました。
20代と思われる若い作業員も混じっていました。
行き届いた指導をしない、最悪の行政にとても腹が立ちました。
この先、この作業をしてくれた人々がどうなってしまうのか、それを考えたとき出来ることなら
『私たちの運動が間違いで、行政が言うとおり危険はなかった』
という結末であって欲しいと心から願いました。
なんでもないのに、おかしな団体が杞憂して大騒ぎしていた、と笑われたならどんなに幸せだろうとさえ思いました。

そんな事を思ったら怒りがこみ上げてきて、お陰様で、すぐに絶望から立ち直れました。
こんな事では負けられない、と思いました。
こんな事であきらめるわけにはいかないのだと、強く強く思いました。

先日、毎年恒例の福島花火大会が開催されました。
当日の午前中、会場である河川敷を測定に参りました。
心のどこかに『何らかの除染作業はしているであろう』という甘い考えがありました。
0.5μSv/hぐらいの微妙な数値ではなかろうかと思っていました。
しかしその思いは、現地に着いた途端にすっぱりと消え去りました。
駐車スペースに車を止め、測定器のスイッチを入れたとたん、グングン数値が上昇してゆきました。
車中でも1μSv/hを超え、外に出ると1.6μSv/h~2.0μSv/hoverまでありました。
河川敷堤防上のサイクリングロードでも同様でした。
夕刻行われる花火大会のいわゆる『場所取り』のため、すでにビニールシートなどが敷かれ、土手の傾斜部分が観覧用スペースとしてすでに確保されていました。
早速そこに線量計を置いてみました。
…6.5μSv/h を計測しました。
ここで花火を寝ころんで見る人は、2時間で13μSvの外部被曝をするのだと想像しました。
その後、土手を下り、傾斜部分からグランドの平地へと角度がフラットに変わるポイントで測定をしました。
約13μSv/h計測しました。
特別な場所ではありません。じきにブルーシートが敷かれ必ずここで誰かが花火をみるであろうというところです。
仮設トイレ周辺も地上1cmで約5μSv/hほどありました。
例年、仮設トイレは長蛇の列ができます。
こんなところに並んで用をたすなど全く馬鹿げていると思いました。
測定所に戻り、実行委員会へ測定結果を電話で知らせました。
しかしやはり、予想通り、全く話になりませんでした。
『実行委員会の測定値と異なる』の一点張りです。
『では、そちらの測定場所と測定値は?』と尋ねると、会場内ではなく会場近辺を計測したデータのみでした。
できるだけ低くしたかったのでしょうか。
それにしても『そちらの測定値とは異なり1.8μSv~2.0μSv…』
ふざけちゃいけない。
十分にイベントなどしてはいけない空間線量です。
しかし結局何を言っても無駄でした。
せめて雨が降ってくれる事を祈りましたが、夕刻より予定通り開催されてしまいました。
測定中、中学生ぐらいの女の子たちが数人、自転車で下見に来ていました。
夕刻が待ち遠しいような、楽しそうな彼女たちの顔が思い出されます。
人々に健康被害がないことを祈ることしかできませんでした。

私は福島市内に店舗を構えて商売をしています。
土木建築関係の業者さんにも利用していただいています。
その土木作業をしている方のお話です。
震災直後、彼らは痛んだ道路の修繕や通行の危険がある場所の補修に追われました。
3月11日から3月15、16日も同様です。
夜遅くまで、作業していただきました。
あの、濃厚な放射能を含んだ15日の雪も浴びたそうです。
行政からは何の防護の指示もありませんでした。
当時は、マスクをしなければならない事などほとんど知られていませんでした。
彼らは無防備なまま、たっぷりと被曝させられました。

3km圏、10km圏内からの避難。
今では、高濃度汚染地域とされている飯館村。
しかし、原発事故直後は、避難先でした。
福一原発近隣からの避難者のみなさんが、一時的に駆け込んだ土地です。
飯館村の人たちは、とても大らかで人情味あふれる親切な方ばかりです。
避難されてきた人たちを気遣い、集会所の駐車スペースなどで炊き出しをふるまい、避難者の冷えた体をいたわりました。
小さな子どもたちも、トン汁が入った発泡スチロールの食器を手に、避難してこられた方々へ配膳を手伝いました。
そんなときにも、あの忌まわしい雪は降っていました。
飯館村の人たち、お手伝いをしてくれた小さな子どもたち、避難してきた人々、みんな、みんな、被曝させられました。
行政はすでに高濃度の放射能が飯館村に降る事を知っていたにもかかわらず、見て見ぬふりをしました。
とても許せることではありません。
先日、市民放射能測定所にてWBCで飯館村の方たち数名を測定させていただきましたが、やはり残念なことに福島市内の人々と比較しても、みなさん桁違いの内部被曝をされていました。

うちの店舗は小学校の隣に建っています。
毎日うちの前を小学生が朝と午後、登下校しています。
現在ガラスバッチを配布され、首から下げて歩く姿はまるで小さな原発作業員のようです。
6月以降梅雨明けと共に非常に暑い日がつづきました。
時間がたつにつれ、子供も親も危機感が薄れ、また夏の暑さに負けて、半そで半ズボンマスクすらしない子どもたちばかりになってしまいました。
登校時は親に言われ仕方なくマスクをして登校していますが、下校時のマスク使用率は極めて低い状況です。
教員は全く指導していないのだと思います。
なぜなら、ある意味子供たちにとって教員は親よりも気を遣う存在だからです。
親の言うことには反発しても、学校の規律はほとんどの子供は守るものです。
だから私は、学校側は文科省の見解に右ならえなのだ、子供たちの安全最優先ではなく、職務としてお上に楯つかないという方針なのだと理解しています。
実際、うちの方に来店される教員の方は『仕方ないのだ』という方と『気にし過ぎなのだ』と言う方ばかりなのです。
そんな中、一人だけ長そで長ズボンにマスクを貫く女の子がいて、毎日気になっていました。
ある日、下校途中の彼女がちょうど私の前を通り過ぎて行こうとしたところに声をかけてみました。
『おかえり』と声をかけるとマスクの向こうで、おそらく、にっこりと笑って、軽くお辞儀をしてくれました。
『いつも偉いね』と二言三言はなしていると、『私は将来お嫁さんになりたい。元気な赤ちゃんも産みたい。だからどんなに暑くてもがまんします。』というのです。
『そうなんだね』と私は言い『偉い!』と褒めちぎって笑顔で見送りました。
しかし心は張り裂けそうでした。
こんな小さな小学生の子供に、これだけ高い意識を持たせながら、どうしてもやれない大人たちに、行政に、自分自身に腹が立ちました。

ここまでお話しさせていただいたことは、全て、国、行政がはじめから本当の事をはなして、自分たちの利益ばかりを追求せずに、人を大事にしてさえくれれば、放射能の危険から回避できたことなのです。
私は国や行政のしたことに激しい怒りを感じます。
今後どんなことが起きるのかと考えると恐ろしくてなりません。

先日、野田内閣の大臣が辞任されました。
失言があったからだそうですが、我々多くの福島県民は、「死の街」と言われたからと言って、全く怒ってなどいません。
そのとおりだと思っています。
やっとTVから本当のことが報道されるようになったとさえ思っています。
しかし、本当の事をいうと責任を取らされるようです。
一体どういうことなのでしょうか?
TVや新聞、メディア等で言われている、大臣の発言に対し『不適切』であると思っている人はごくごくわずかな人々です。
それをあたかも県民の総意であるかのように報道しています。
あの日、311以来、ずっとこういうことが続けられています。
政治家、TV局、各メディア関係、みんな東電株を持っています。
資産を東電株に変えています。
意図的に東電を潰すまいとしています。
政治家が自分の持ち株を守るために東電を擁護すること、報道が会社の資産を守るために情報を操作することは、証券取引法違反にはあたらないのでしょうか?

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by fukushimakyoto | 2011-09-25 13:10 | 福島からのメッセージ | Trackback | Comments(5)

ハイロアクション福島・武藤類子さんのスピーチ

9・19 さようなら原発5万人集会での「ハイロアクション福島」・武藤類子さんのスピーチです。

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 みなさんこんにちは。福島から参りました。

 今日は、福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に参りました。初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。福島で起きた原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそが原発いらないの声をあげようと、声をかけ合いさそい合ってこの集会にやってきました。
 はじめに申し上げたい事があります。

 3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆる事に取り組んできたみなさんひとりひとりを、深く尊敬いたします。

 それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様々な支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。

 そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子供たち、若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、心からあやまりたいと思います。本当にごめんなさい。

 皆さん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。桃・梨・りんごと、くだものの宝庫中通り。猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。そのむこうを深い山々がふちどっています。山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。

 3.11・原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。

 大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。

 すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。 毎日、毎日、否応無くせまられる決断。逃げる、逃げない?食べる、食べない?洗濯物を外に干す、干さない?子どもにマスクをさせる、させない?畑をたがやす、たがやさない?なにかに物申す、だまる?様々な苦渋の選択がありました。

 そして、今。半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、

 ・真実は隠されるのだ

 ・国は国民を守らないのだ

 ・事故はいまだに終わらないのだ

 ・福島県民は核の実験材料にされるのだ

 ・ばくだいな放射性のゴミは残るのだ

 ・大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ

 ・私たちは棄てられたのだ

 私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。

 でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。

 福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。

 ・子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが・・・

 ・自分たちの未来を奪われまいと若い世代が・・・

 ・大量の被曝にさらされながら、事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、労働者たちが・・・

 ・土を汚された絶望の中から農民たちが・・・

 ・放射能によるあらたな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が・・・

 ・ひとりひとりの市民が・・・ 国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと声をあげています。

 私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。

 私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに注目してください。政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。

 もうひとつ、お話したいことがあります。

 それは私たち自身の生き方・暮らし方です。 私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。原発はその向こうにあるのです。 人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。 私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。 ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。

 どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。誰にも明確な答えはわかりません。できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひとりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。ひとりひとりにその力があることを思いだしましょう。

 私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。 そして、つながること。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。

 たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。
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by fukushimakyoto | 2011-09-20 22:31 | 福島からのメッセージ | Trackback | Comments(0)