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福島の現実とみなさんに伝えたいこと

福島の現実とみなさんに伝えたいこと

 みなさん、こんにちは。
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人と市民放射能測定所で理事をさせていただいております、阿部宣幸と申します。
まず、お話をさせていただく前に、みなさんにお詫びをしなければなりません。
3月11日、東北地方を震源とする東日本大震災が起きました。
それを受けて、福島第一原子力発電所で原発事故を起こしてしまいました。
これは、原発の稼働を許してきた、われわれ、福島県有権者の責任です。
全国のみなさん、大阪(京都)のみなさんに多大なご迷惑をおかけしていること、福島県有権者の一人として心よりお詫び申し上げます。
申し訳ありません。

原発事故は未だ収束していません。
これから途方もなく長い長い時間をかけて何らかの結果へ向かっていくのだと思います。
先祖から受け継ぎ、子孫へとさらに磨きをかけて返していかなければならない筈の故郷を、これほどまでに汚染してしまったこと、とても悔やまれます。

今日は福島の市民団体『子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク』の活動と7/17に開所致しました『市民放射能測定所』の活動を紹介しながら、現在の福島の状況をおはなしさせていただきたいと思います。

まず『子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク』ですが、やたらに長いので私どもは略して『子ども福島』と呼んでおります。
本日も『子ども福島』でお話しさせていただこうと思います。

子ども福島は5月1日に誕生しました。
すでに4月から活動はありましたが、正式に発足したのは5月1日です。
決起集会が行われ、後日すぐに政府交渉が行われました。

まずは子どもたちに対する年間20mSvの暫定基準の撤回を訴えました。
バスをチャーターし、文部科学省と原子力安全委員会まで出向き交渉をいたしました。
話を進めていくと、これには実際、不可思議なことが続きました。
原子力安全委員の方では20mSvという数字は文科省の指示であるといい、文科省では安全委員の指示であると、責任のなすりあいが起きました。
お役所ではままある事とは思いながらも、どこをどう質問しても互いに、指示していないというのです。
お茶を濁す感じではなく、明らかに違うという感じでした。
その後もさまざまな方向から質問をして後日文書にて回答をいただいたりを繰り返し、
ようやくだれの指示なのかが分りました。
なんと、驚くことに、それは福島県知事からの要請でした。
あの当時、菅総理大臣から福島県民の避難受け入れについて県の方へ提案があったそうなのですが、県知事がそれを断わり、子供を含めて20mSv/年まで県民に我慢させるという暫定基準を要請したということがわかりました。
これは、県外避難による福島県の人口減少を懸念した対応と思われます。
私たちは、なんとか子供たちだけでも助けなければならないと思い、交渉を重ねて参りましたが『年1mSvを目指す』という中途半端な約束にこぎつけるのがやっとでした。
この方向性は今も保たれ、福島県民にとって大きな障害となっています。
この根本があるために、いろいろなことが交渉の妨げとなっています。

たとえば、仮設住宅。
福島市内の高線量地域の住民を福島市内の別の場所に避難させ、受け入れる予定です。
空間線量が高い地区の住人を比較的線量の低い土地の仮設住宅へ移動させるといいます。
やらないよりはマシという程度の方針を立て対策しようとしています。
さらに、津波被害から避難されてきた方々などは非常に過酷な状況の仮設住宅に入居させられています。
福島市飯野地区にある仮設住宅などに入居させられていますが、その仮設住宅は飯野地区の平地で最も線量の高い土地に建設されています。
その土地の周辺の線量は2.0μSv/h前後あります。
きちんと測定をすることなく建設したとしか思えない杜撰さです。
お役所には指摘をしてもまるで話になりません。
南相馬の方々もとても気の毒な環境におかれています。
南相馬市の北部は実は福島市よりも線量が低いのです。
南相馬市の一部が高線量に汚染されているからと、こまやかな空間測定という配慮なしにひとまとめにされて、避難させられています。
線量の低い地元から線量の高い土地へ避難させられています。
行政はどういうつもりなのか、全く理解出ません。

そして子供たちの学校ですが、夏休み中に除染が行われ、すべての公立学校の校庭表土を削り終えました。
地表1cmでの計測では劇的な効果をあげました。
しかしながら、地表1mの地点においてはあまり変わりませんでした。
敷地外の近隣から飛んでくる放射線と校舎にしみ込んでいる放射性物質からの影響で高い位置の空間線量は劇的な低減の成果は得られませんでした。
コンクリート部分に関しても高圧洗浄等除染作業を施しておりますが、濡れている間は線量が下がるものの、乾燥すると元の線量に戻ってしまいます。
これは水の遮蔽効果により、濡れている間だけ30%程線量が下がるのだと思います。
セシウムが強力にコンクリートに付着していることがここから推測できます。
コンクリートに関してはあらゆる場所でこういったDATAが出ています。

ある幼稚園で砂場の除染をしました。
砂場の砂を掻き出して、すべて入れ替える作業を施しました。
作業終了後、線量計にて測定をしてみると、なぜか全く下がっていません。
これはオカルトであると、皆が首をひねりました。
そこで原因究明のためにリアルタイムで放射線を感知する測定器を使い、どこからどのように放射線が出ているのかを調査しました。
その結果、砂場を仕切っているコンクリートのブロックから強い放射線が出ていることがわかりました。
砂には放射性物質は含まれていませんでした。
続いて、園の雨樋の排水部の線量が高いということで、その近辺の土を削りました。
削っては測定し、削っては測定を繰り返しました。
しかし、30cmほど削っても全く線量が下がらないのです。
またもや謎が発生してしまいました。
残念ながら、そこも先ほど学んだ通りの理由でした。
同じように建物の基礎部分のコンクリートに線量計を近づけると、激しく反応しました。建物の基礎の部分から放射線が出ていました。
これにはとてもショックを受けました。
基礎だけを取りかえる事など出来ません。

みんな天を仰ぎました。
と、そのときみんなの目にもう一つ絶望的なものが映りました。
瓦でした。
木造建築の古い建物で、乗っている瓦は俗にいうコンクリート瓦というものでした。
現代の高級な瓦と違って、コーティングされていない粗目の瓦でした。
梯子をかけて屋根に登り、測定するとやはり高い数値が計測されました。

さらに庭木や植物。
あらゆる植物から高い放射線が出ていました。
生垣に使われている植物。
花壇の植物。
近くの林や山の中の植物。
道端の雑草、付近の苔に至るまで、ありとあらゆるすべての植物から高い線量が検出されました。

それまでは『福島をコツコツと除染し、きれいな街に戻したところに子どもたちを呼び戻すのだ』というメルヘンを夢見ておりました。
しかし、それは全く甘かったのだと思い知らされました。
この時は、これまでで最も心が折れそうな絶望の瞬間でした。

このときの除染作業時、市役所から委託された作業員たちは、マスクもせずにランニング姿で作業していました。
20代と思われる若い作業員も混じっていました。
行き届いた指導をしない、最悪の行政にとても腹が立ちました。
この先、この作業をしてくれた人々がどうなってしまうのか、それを考えたとき出来ることなら
『私たちの運動が間違いで、行政が言うとおり危険はなかった』
という結末であって欲しいと心から願いました。
なんでもないのに、おかしな団体が杞憂して大騒ぎしていた、と笑われたならどんなに幸せだろうとさえ思いました。

そんな事を思ったら怒りがこみ上げてきて、お陰様で、すぐに絶望から立ち直れました。
こんな事では負けられない、と思いました。
こんな事であきらめるわけにはいかないのだと、強く強く思いました。

先日、毎年恒例の福島花火大会が開催されました。
当日の午前中、会場である河川敷を測定に参りました。
心のどこかに『何らかの除染作業はしているであろう』という甘い考えがありました。
0.5μSv/hぐらいの微妙な数値ではなかろうかと思っていました。
しかしその思いは、現地に着いた途端にすっぱりと消え去りました。
駐車スペースに車を止め、測定器のスイッチを入れたとたん、グングン数値が上昇してゆきました。
車中でも1μSv/hを超え、外に出ると1.6μSv/h~2.0μSv/hoverまでありました。
河川敷堤防上のサイクリングロードでも同様でした。
夕刻行われる花火大会のいわゆる『場所取り』のため、すでにビニールシートなどが敷かれ、土手の傾斜部分が観覧用スペースとしてすでに確保されていました。
早速そこに線量計を置いてみました。
…6.5μSv/h を計測しました。
ここで花火を寝ころんで見る人は、2時間で13μSvの外部被曝をするのだと想像しました。
その後、土手を下り、傾斜部分からグランドの平地へと角度がフラットに変わるポイントで測定をしました。
約13μSv/h計測しました。
特別な場所ではありません。じきにブルーシートが敷かれ必ずここで誰かが花火をみるであろうというところです。
仮設トイレ周辺も地上1cmで約5μSv/hほどありました。
例年、仮設トイレは長蛇の列ができます。
こんなところに並んで用をたすなど全く馬鹿げていると思いました。
測定所に戻り、実行委員会へ測定結果を電話で知らせました。
しかしやはり、予想通り、全く話になりませんでした。
『実行委員会の測定値と異なる』の一点張りです。
『では、そちらの測定場所と測定値は?』と尋ねると、会場内ではなく会場近辺を計測したデータのみでした。
できるだけ低くしたかったのでしょうか。
それにしても『そちらの測定値とは異なり1.8μSv~2.0μSv…』
ふざけちゃいけない。
十分にイベントなどしてはいけない空間線量です。
しかし結局何を言っても無駄でした。
せめて雨が降ってくれる事を祈りましたが、夕刻より予定通り開催されてしまいました。
測定中、中学生ぐらいの女の子たちが数人、自転車で下見に来ていました。
夕刻が待ち遠しいような、楽しそうな彼女たちの顔が思い出されます。
人々に健康被害がないことを祈ることしかできませんでした。

私は福島市内に店舗を構えて商売をしています。
土木建築関係の業者さんにも利用していただいています。
その土木作業をしている方のお話です。
震災直後、彼らは痛んだ道路の修繕や通行の危険がある場所の補修に追われました。
3月11日から3月15、16日も同様です。
夜遅くまで、作業していただきました。
あの、濃厚な放射能を含んだ15日の雪も浴びたそうです。
行政からは何の防護の指示もありませんでした。
当時は、マスクをしなければならない事などほとんど知られていませんでした。
彼らは無防備なまま、たっぷりと被曝させられました。

3km圏、10km圏内からの避難。
今では、高濃度汚染地域とされている飯館村。
しかし、原発事故直後は、避難先でした。
福一原発近隣からの避難者のみなさんが、一時的に駆け込んだ土地です。
飯館村の人たちは、とても大らかで人情味あふれる親切な方ばかりです。
避難されてきた人たちを気遣い、集会所の駐車スペースなどで炊き出しをふるまい、避難者の冷えた体をいたわりました。
小さな子どもたちも、トン汁が入った発泡スチロールの食器を手に、避難してこられた方々へ配膳を手伝いました。
そんなときにも、あの忌まわしい雪は降っていました。
飯館村の人たち、お手伝いをしてくれた小さな子どもたち、避難してきた人々、みんな、みんな、被曝させられました。
行政はすでに高濃度の放射能が飯館村に降る事を知っていたにもかかわらず、見て見ぬふりをしました。
とても許せることではありません。
先日、市民放射能測定所にてWBCで飯館村の方たち数名を測定させていただきましたが、やはり残念なことに福島市内の人々と比較しても、みなさん桁違いの内部被曝をされていました。

うちの店舗は小学校の隣に建っています。
毎日うちの前を小学生が朝と午後、登下校しています。
現在ガラスバッチを配布され、首から下げて歩く姿はまるで小さな原発作業員のようです。
6月以降梅雨明けと共に非常に暑い日がつづきました。
時間がたつにつれ、子供も親も危機感が薄れ、また夏の暑さに負けて、半そで半ズボンマスクすらしない子どもたちばかりになってしまいました。
登校時は親に言われ仕方なくマスクをして登校していますが、下校時のマスク使用率は極めて低い状況です。
教員は全く指導していないのだと思います。
なぜなら、ある意味子供たちにとって教員は親よりも気を遣う存在だからです。
親の言うことには反発しても、学校の規律はほとんどの子供は守るものです。
だから私は、学校側は文科省の見解に右ならえなのだ、子供たちの安全最優先ではなく、職務としてお上に楯つかないという方針なのだと理解しています。
実際、うちの方に来店される教員の方は『仕方ないのだ』という方と『気にし過ぎなのだ』と言う方ばかりなのです。
そんな中、一人だけ長そで長ズボンにマスクを貫く女の子がいて、毎日気になっていました。
ある日、下校途中の彼女がちょうど私の前を通り過ぎて行こうとしたところに声をかけてみました。
『おかえり』と声をかけるとマスクの向こうで、おそらく、にっこりと笑って、軽くお辞儀をしてくれました。
『いつも偉いね』と二言三言はなしていると、『私は将来お嫁さんになりたい。元気な赤ちゃんも産みたい。だからどんなに暑くてもがまんします。』というのです。
『そうなんだね』と私は言い『偉い!』と褒めちぎって笑顔で見送りました。
しかし心は張り裂けそうでした。
こんな小さな小学生の子供に、これだけ高い意識を持たせながら、どうしてもやれない大人たちに、行政に、自分自身に腹が立ちました。

ここまでお話しさせていただいたことは、全て、国、行政がはじめから本当の事をはなして、自分たちの利益ばかりを追求せずに、人を大事にしてさえくれれば、放射能の危険から回避できたことなのです。
私は国や行政のしたことに激しい怒りを感じます。
今後どんなことが起きるのかと考えると恐ろしくてなりません。

先日、野田内閣の大臣が辞任されました。
失言があったからだそうですが、我々多くの福島県民は、「死の街」と言われたからと言って、全く怒ってなどいません。
そのとおりだと思っています。
やっとTVから本当のことが報道されるようになったとさえ思っています。
しかし、本当の事をいうと責任を取らされるようです。
一体どういうことなのでしょうか?
TVや新聞、メディア等で言われている、大臣の発言に対し『不適切』であると思っている人はごくごくわずかな人々です。
それをあたかも県民の総意であるかのように報道しています。
あの日、311以来、ずっとこういうことが続けられています。
政治家、TV局、各メディア関係、みんな東電株を持っています。
資産を東電株に変えています。
意図的に東電を潰すまいとしています。
政治家が自分の持ち株を守るために東電を擁護すること、報道が会社の資産を守るために情報を操作することは、証券取引法違反にはあたらないのでしょうか?





福島は全国のみなさんに支えられ、今なんとか踏ん張っています。
とても感謝しております。
しかし、みなさん、残念ながら、裏目に出ていることもあります。
それは、福島の農産物を買い、瓦礫の受け入れをしてくださることです。
これは、福島は喜びません。
福島はみなさんと汚染を分かち合いたいとは思っていません。
我々の為に内部被曝もして欲しくありません。
『福島』を皆さんがこういう形で受け入れてくださる事は、国と東京電力が喜ぶだけです。
みなさんに徹底して拒否していただくことこそが、国と東京電力に全額保証させる最も良い手段なのです。
まして、東京電力が責任を取って辞める人間に莫大な退職金を払うというようなふざけた態度をとる限り、税金の投入さえ国に許すべきではないと思います。
東電がオケラになるまで保証させるべきだと思います。

たとえば、ある工場が工業廃水を海に何百トンも放出したなら、その会社はどうなるでしょうか?
きちんと責任を取らされますし、責任者は逮捕されると思います。
東京電力はでうでしょう?
一体どれだけの汚染水を海に放出したのでしょう。
意図的に放出もしました。
なぜ東京電力からは責任者が逮捕されず、莫大な退職金が支払われるのでしょうか?
不思議でなりません。

放射能関係の法律を調べました。
原発事故は絶対に起きないという前提のもとに、放射能のばらまきに対する法律はないのだろうかと思っておりましたが、ありました。
『故意にばらまいた』場合は犯罪となります。
スピーディーの予測によって、水素爆発の時間まで予測されていたとも言われます。
少なくとも、爆発の危険は察知していたわけですから、出来るだけ遠方への避難指示を風向きの予測をもとに、爆発前にするべきでした。
福一原発付近に住む東電社員とその家族は3月11日のうちに避難していたと聞いています。
情報を得ていない下請け業者の家族や双葉町大熊町に住む住人は『原発は絶対壊れない』と思っていたそうです。
3km圏避難指示が出たときでさえ『万が一のことを考えて』の言葉を信じていて、2,3日すれば帰れると思っていたそうです。

元原発作業員だったという若者に作業現場の話を聞くことができました。
現場からそとへ何かを持ち出すときに必ず汚染状況を検査されるそうです。
そして驚くべきことはその基準値です。
みなさん、いくつだと思われますか?
・・・・4Bqです。
それを超えると始末書を書かされたそうです。
どう思われますか?
いまわれわれが『安全』だと言われ食べさせられようとしている食品の暫定基準は500Bqです。
たった一つの品物を持ち出すのに4Bq。
全国民に安全だと食べさせようとする食品はいくら暫定とはいえ500Bqです。
それでも本当に大丈夫だ、もったいないと思われる方は、どうぞ。
それ以上は私に止める権利はありません。
原発が平常時低レベルに処理した汚染水を海に流してよいとされるレベルより遥かに高い基準のものを食べさせようとしています。
平気だという人は原発排水溝からコップで水を汲んでゴクゴク飲める人です。

チェルノブイリでの事故のとき、旧ソビエトは数千台のバスを出して3日間の避難の支度を準備させ市民を全員避難させました。
そして2度と帰れなくなりました。
結局騙したことにはなりましたが、騙してでも救いだしました。
日本はどうでしょう?
自主的に避難させました。
一旦避難したらいつのまにか自主的ではなくなり、帰しませんでした。
極めて原発付近に住む自主的に避難出来ずに残らざるを得なかった人は、だれも助けに来てもらえず食べるものもなく、餓死させられました。
騙してでも「救う気」など全くなく、騙して被曝をさせられています。
騙して汚染食品を国民に食べさせています。
騙して「帰れる」と言っています。
福島支援であると全国民を騙して汚染を分かち合わせ、東電支援をさせようとしています。
そして、放射線の専門家会議を開いて世界中にウソをつき、既成事実をでっち上げました。
みなさん、騙されないでください。
私は総理大臣の交代や政権交代などということでは何一つ変わらないのではないかとさえ考えています。
全国民が目を覚まさねばならない時が来ているのだと、新しい本当の民主主義が必要であると考えています。

市民放射能測定所についておはなしいたします。
7月17日福島市に市民放射能測定所が開所いたしました。
ロシアの現状を調査したところ、数十ヶ所に市民による測定所が作られ、市民が測定し数値を確認して食している事を知りました。
これからは福島もこうして生きてゆかねばならないだと思います。
そんな理由から必然的に立ち上がったといっても過言ではないと思っています。
現在は食品測定と空間測定、ホールボディーカウンターによる内部被曝の測定、等をメインに活動しております。
みんなで共通の認識を共有したいというのが我々の願いです。
いろいろ心配なことがそれぞれたくさんあるとおもいますが、正しく理解していただきたいと思っています。

例えば、以前ネット上で『おしりふき』の汚染が話題になりました。
おしりふきをシュッと一枚抜くと空間線量が上がるというのです。
申し訳ありませんが、これは、かなり面白い話でした。
もし、事実なら、そのおしりふき本体は10μSv/h以上あると思います。
ガイガーカウンターをつけてみれば、中国製だろうがウクライナ製であろうが高い数値を計測するでしょう。
いくらなんでもありえません。
一日にいったい、いくつ生産されるのでしょう?
工場の生産体系を想像してみると、その一個だけが高濃度汚染されるとは考えにくい生産ラインが想定されます。
ということは、たとえば1日1000個作られるとするとその日だけの全体で10mSv/hの汚染されたおしりふきの塊が工場にあることになります。
その工場はどれほど汚染されているのでしょう?
大きな会社がさすがにそれほどの汚染に気付かず出荷することなどあるのでしょうか?
ちょっと現実的ではありません。

食品も計測できるという謳い文句につられ10万円以上もする計測器を購入された方が大勢いらっしゃいます。
スーパーでガイガーを充て0.05μSv/h以下は買いで0.06μSv/h以上は買わない、とかやってらっしゃるようです。
しかし、これはとても危険です。
それだけ意識が高い方なのだから、まさか500Bq以下かどうか確認しているわけではないと思います。
限りなく0Bqを探してのことだと思います。
だとすると、残念ながらその見地から申し上げますと、ガイガーカウンターでは無理です。
実際は1Bqと言う放射線は検出が大変困難な微弱エネルギーです。
それが、30Bqでもなかなか誤差に大きく左右され正確に検出が出来ない程、微弱なのです。
逆に言うと空間線量はガイガーカウンターで計測できる程までに超大量に放射能が降ったのだということになります。
降り注いだ放射能の量はそれほどまでに膨大で、多くの植物が吸い上げる量などは、極めて、ごくごくわずかであるということです。
しかしながら、内部被曝というものはそんな微量であっても危険であるということも知っておかなければなりません。
ウクライナでの指標は子ども37Bq/日、大人50Bq/日といわれます。
50Bqというのは1秒間に50本の放射線を出すということです。
500Bqは1秒間に500本でています。
500Bqは1分間で30000本の放射線が細胞を攻撃します。
想像しただけでぞっとします。
すべてが体内に残る訳ではありませんが、まずは最低限摂取量を出来るだけ減らしたいものです。

福島は家庭菜園をされている方がたいへん多く、自分で作った野菜を測定所に持ち込む方が多くいらっしゃいます。
きちんと測って正しく怖がるというのは、大変良いことだと思います。
ただ、数値がある程度出てしまうときもままあります。
とても辛い瞬間です。
我々は何ベクレルまでは大丈夫という指標をだしておりません。
一見ずるいようですが、自己判断とさせていただいております。
なぜならば、放射線被害と言うのは、まだまだ研究途中の分野であるという認識と、現在知られている常識として『確率的被害』であるという見地から、そうさせていただいております。
確率的被害と言うのは0になるまで被害の可能性も0にならないということです。

放射能はごくごく、微量であっても危険はある、というのが現在の常識となっています。
御用学者たちはそれを踏まえつつも『交通事故の確率』とか『喫煙による健康被害』などと比べ安全だと言っています。
完全に問題をすり替えて誤魔化そうとしています。
なぜならば、他の健康被害と比べることと、安全である事とは無関係だからです。
人口に対し10年間にお亡くなりになる方の数はある程度統計が出ています。
そしてそこに死因というものがあります。
もしも今回の原発事故でお亡くなりになられる方がいらしたなら、死因に福島第一原子力発電所の原発事故による放射線被害という項目が『増えます』し、従来の年間死亡者数に『加算』されます。
相対的に見て喫煙者の健康被害より少ないから安全であるという発言は、鉢呂大臣の失言よりはるかに問題だと思います。
この事故によって健康被害を受ける人々が増えるかもしれないというのに、数千人、数万人に1人だから気にするなという意味です。
これは許されない問題発言であると私は思います。

昨日、記者会見が行われたようなのでここでお話ししても問題ないかとおもわれますが、福島の市民放射能測定所にはホールボディーカウンターが導入されています。来月より市民のみなさん、特に子供たちから先に検査をする予定です。
もちろん希望者のみです。
数字もきちんと本人や親御さんに伝えます
市民放射能測定所では『生活手帳』というものを作成しました。
ここに計測された数値を書き込んでゆきます。
継続して計測することにいみがあります。
現在の食生活は安全なものを食べていくのか?
高濃度の汚染された食品を摂取していないかを定期的に測る事に意味があります。
今現在の自分の被曝度に一喜一憂するためのものではなく、生活する上でさらなる気遣いが必要であるかどうかのチェックとして活用すべきなのです。
我々はとても辛い作業になることを覚悟の上で、市民を測定することに決めました。
測定をしていて、食品などから高濃度の汚染が検出されたとき、とても気が重くなります。
どう伝えればよいか、どんな顔して話せば良いのか悩みます。
測定員同志で笑い話があります。
究極の処、本意は判らないが、枝野さんのように『直ちに影響はありません』とやはり言いたくなる気持ちは分らないでもない、と言っておりました。
うそは言いたくないけれど、気休めやフォローをなにかひとこと、言ってあげたくなるようです。
まして内部被曝。
どうしましょうかと、じつは私個人的には悩んでおります。

現在のところ、福島市内の子どもたちをテスト的に測らせていただいておりますが、お母さん方の努力の甲斐あってか、あまり高い数値は出ておりません。
ただ、kgあたりの被曝量は大人より高めの子が多いのも事実です。
実際、どんなに注意しても子どもは無防備な状態になりますし、日中片時も目を離さないということも不可能ですので、どうしても植物や土に触れたりする機会が多くなってしまいます。
そういったことの積み重ねも内部被曝につながっているのだと思います。

今後は全国にこういった、放射能測定所が必要になっていくのだと思います。
きっと大阪(京都)にも必要です。
福島の農産物を『国産』などとかいて市場にばらまくのだと思います。
こちらではどうなっているか存じ上げませんが、福島ではすでに『国産』とだけ書いてある加工食品などが出回っております。
最近まではきちんと、産地名が堂々と記載されていたのに、他県の食材と福島の農産物を意図的にミックスして『国産』と銘打って販売されています。

行政がきちんと誠実に計測し、数値を明らかにして、食の安全に対する信頼を確立しないかぎり、我が身は自分で守るしかありません。
実は現段階においては福島産の野菜も収穫地によっては、全く汚染されていない食材も多くあります。
きちんと測定して住民の信頼さえ獲得すれば食べられるものはたくさんあるのです。
正しい知識がないために、食べられたであろう食材を大量に処分された方もいらっしゃいます。
食材や品物がいわゆる外部被曝したからといって処分された方もいらっしゃいます。
全くもったいない話で、とても悲しく思います。

私たちは、子どもたちを放射能から守るための運動と共に正しい知識の共有と正しい計測をして安全を確保すること。
これらのことを同時進行で行って行かなければなりません。

どうか皆さんの街にも是非、市民による放射能測定所を作ってください。
機器の選定やアドバイス、技術の共有をいたしましょう。
すでに福島に6ヶ所と東京に1ヶ所作られています。
関西にも是非必要だと思われます。

未曾有の出来事。
正直に申し上げると、どうしてよいやら、全く見当がつきません。
しかし、出来る事を本気でやってゆくより他は無いと思っています。
必要な事は必ず目の前に立ちはだかります。

全国のみなさんから、涙が出るほど温かいご支援や言葉をいただきます。
何をしてもらいたい?と聞かれます。
しかし、お恥ずかしながら、どうして欲しいかさえ分りません。
どうしたらすべての子供たちを放射能から守ってあげられるのか分かりません。
半年もたったのに解らないのです。
時がたてばたつほど、いろいろなことが分かってきます。

私も当初は、子供を避難させない親は許せないと思い、ずいぶん大人たちを責めたりしました。
命と経済を秤にかけ、経済を選択するものを軽蔑したりもしました。
しかし、だんだん時が経つにつれ、人生に於いて培ったキャリアのすべてを棄て、福島を出るということは死に値する方がたくさんいるのだと知りました。
家族と離れて暮らすことがとてつもない苦痛を伴う方がいるのだと知りました。
日々いろいろな事情の方のお話をうかがいます。
私は自分がなんと世間知らずで身勝手で人の気持ちがわからない人間であったか、この年になって初めて気が付きました。

ですから、どうしてよいのかわかりません。
わかりませんが、止まれません。
止まる訳にはいきません。
みなさんのお力を借りて、すべての理不尽と戦い、原発災害の完全なる収束に全力で立ち向かう覚悟でおります。
今後ともよろしくご指導願います。

ありがとうございました。
by fukushimakyoto | 2011-09-25 13:10 | 福島からのメッセージ