2012年 09月 24日
被災者支援法 9月21日東京・復興庁要請行動の報告
9月21日(金)に、『原発被災者支援法の効果ある実施』を求めて東京へ行き、復興庁と交渉してきましたので報告します。
長文ご容赦。でも、とっても大事な内容なので、ぜひ読んでください。
11時に東京赤坂1丁目の「復興庁」に到着
経済産業省などの中央省庁から離れた、普通のビルの6階にありました。
なんだか普通の会社のビルを急に借りたような雰囲気。
こちらの要請側は東京・関西の5名。応対したのは復興庁の若手官僚の4名でした。
「できたての柔らかい組織なんです。」
「ここにいるメンバーで、法制度担当、福島担当、避難者担当など、実務をやってます。」
「新潟や山形に避難されている方の声を聞きに行きました。」
「毎日、いろんな要請を受けています。」
という発言に見られるように、後で要請に行った文部科学省の超官僚的対応に比べ、非常にマイルドな応対でした。
まず、『避難・移住・帰還の権利ネットワーク』の小山さんが要請書を説明した後、提出。
最初に一番大事な「支援対象地域をどうするか?」という点について質問しました。
復興庁側は、「基本方針が決まっていない。法案を提案された議員達と話し合っているが、まだ意見がまとまらない。」と回答。
要請側は、関西には、福島からの避難者、関東圏からの避難者がたくさんおられ、その全てを対象とすること。そのために、空間線量ではなく土壌を測定し、ホットスポットのある自治体全てを対象とするように求めました。
私は、「福島では甲状腺の異変はもう出始めた。悪いことは望まないが、万一健康被害が出た場合は全て救済すべきだ。」と求めました。
次に、いつから支援を始めるのか追求しました。
支援するには当然予算が必要。各省庁から概算要求が出始めており、年末には政府予算の原案が出されるからです。
復興庁側は、「25年度予算に盛り込みたい。でも基本方針が決まってないので、いくらの予算を組むのか決められない。」と回答。
要請側は、「避難者は待てない。時間がない。どういう検討をしてるのか?財務省とケンカしてでも予算を取れ!」と追求。
復興庁側は、「わかってるが、対象エリアどうするか、どういう支援をするか、メニューが決まらないことには予算が出せない。」と繰り返しました。
私は、「議員の声ばかり聞かないで、支援を実際に必要としている人の声を聞いて、一刻も早く支援に踏み出すべきだ。」と求めました。
住宅支援についても追求しました。
要請側は、「京都、兵庫は3年支援だが、大阪は2年。期限を切られると精神的にも不安。無期限の支援をすべきだ。」と要請。
復興庁側は、「災害救助法では、年単位でしか延ばせない。いまは政府が3年まで受け入れ期間を延ばしたが、3年受け入れ可能かは各自治体が判断。」と回答。
要請側は、「いまは支援法ができたのだから、支援法で考えるべき。」と追求。
復興庁側は、「その通りです。いまの現状が不十分だから支援法ができたと認識してます」と認めましたが、ここでも「具体的にどうするかは、決まってないので」と回答。
最後に、関西の避難者の声を直接聞くように、強く求めました。
復興庁側は、「みなさんも含め、いろんな意見を聞きながら、復興庁が取りまとめている段階なんです。今は、みなさんの要求を受けられるか、受けられないのか、白紙の状態。」
要請側は、「それなら避難者の要求をきちんと聞いてくれ!新潟、山形に行ってるんなら、関西にも来れるやろ!大阪弁護士会と連携して招請するから。」と強く要求。
復興庁側は拒否せず、「具体的な要請があれば検討します。」と答えました。
以上、1時間余りの交渉を終えました。
私の感想ですが、復興庁の実際に支援法を運用する担当者と窓口ができたのは非常に大きかったと思います。
日々、被災者や避難者に接しているからこそ、まだ聞く耳をもった人間的な対応ができる人を配置しているのかな、と思いました。
今回交渉して、政府に勝手に支援法をねじ曲げた運用をさせないためにも、基本方針をつくろうとしている今、避難者の要求をどんどん、ぶつけていくべきだと思いました。
復興庁側は、その声が広がれば、無視することは決してできないと感じました。
今回は、京都から参加したのは私だけでしたが、次は大勢でおしかけましょう!
また、関西で復興庁との交渉が実現したら、みんなで参加しましょう!
そして、9月29日の支援法提案者の谷岡議員を招いての集会、とっても大事です。
絶対に成功させましょう!
あと、この日は朝から原発推進の経団連要請、参議院会館内の集会、放射線副読本の文部科学省交渉、環境省へのガレキ行動、夜の首相官邸・国会前アクションに参加しました。
疲れましたが、本当に充実した1日でした。
いっぱい書きたいことはありますが、今日はこの辺で。
なお、東京からの避難者の方のアドバイスを受け、私は外ではマスクで防護してました。
以上です。
by fukushimakyoto
| 2012-09-24 01:16
| 対政府交渉