2015年 07月 11日
ジェフリードさんの英国 国会議事堂での講演
福島第一原発事故4 周年 ロンドン大会
講演:英国人画家ジェフ リード
平成27年3 月10日
会場:英国 国会議事堂
平成24年3月福島第一原発事故が起こった時、私は8歳の息子と福島県に住んでいました。事故後、福島県内外の子供達と原発事故体験によるコラボレーション・ポートレート作品をつくりはじめ、「ストロング・チルドレン・プロジェクト」を立ち上げました。作品は100点におよびます。
毎年3.11の時期に、3重災害(地震、津波、原発事故)を体験された被災者の方々に心を寄せることは、とても大切なことです。そして現在も毎日、数千人の原発従業者の方々がフクイチで収束作業を行っています。その中には、行方がわからなくなった方々もいます。実際、労働者の健康管理はどうなっているのでしょうか。2011年6月時点で、すでに1300人もの労働者の所在が不明となっています。彼らは現在もフクイチで働いているのか、そうでないのか、情報公開をする必要があります。
今夜は、原発事故時に福島県に住んでいらしたご家族や子供たちのお話しをさせていただきます。現在も福島県に住んでいらっしゃる方、県外に避難された方、それぞれいらっしゃいます。私の説明よりも当事者の実際の言葉を聞いていただく方が、福島県で何が起きているのか、皆様により伝わると思います。
まずは、大工さんになるために福島県に移住していた女性です。
「川内村に夫婦で新居を建てました。子どもが2人生まれて家族4人になり,大工と建築設計の仕事を営みつつ,春には山菜を採り,夏には渓流で泳いでヤマメを釣って食べ,秋にはキノコやクリを採り,冬には薪で暖をとる,そのような暮らしをして,四季のめぐりや自然の恵みに何より生きる豊かさを
感じていました。」
彼女の生活は、私の福島県での自然と共生きる体験を思い出させます。福島県には、人とのつながりを大切にしたパワフルで温かい地域社会が存在していました。それは、厳しい状況にある現在も続いています。
次にフクイチから60 km 離れた郡山市在住の母親のお話です。
「郡山市に帰って来て、丸2年になります。子供たちは、やっぱり、地元がいいようで、帰って来てからは、生き生きとしています。私も、帰って来てからは、なるべく放射能は、気にしないようにしていま
す。でも、やっぱり、水道水は、料理には使えません。もらった野菜も、わからないようにして捨てています。笑顔でもらい、ゴミ箱に捨てる。 今は普通になりました。放射能を気にしてるのは、おかしいような雰囲気があるからです。神奈川の短大に行っている娘が、就職の相談をしてきますが、帰って来るな
と言っています。さみしいですが、下の子供たちも、なるべく早く郡山から出そうと思っています。
特に真ん中の子供は、サッカーをしているので、砂ぼこりを吸います。すごく心配ですが、サッカーが大好きなので、やめろとは言えません。
放射能に関するニュースを見ると、とても不安になり、やっぱり、避難した方がいいのか、悩みます。
でも、やっぱり、ここに居たいのです。ここが、一番安らげる場所なのです。
放射能さえなければ…。いつも思います。
子供たちが、病気にならないよう祈りながら、ここに住んでいます。」
子供たちのために福島県で生きていくということに違和感を感じる人もいるかもしれません。私は100名の子供たちとコラボポートレート作品を作りました。本当に素晴らしい子供たちで、それぞれ違う状況で生きています。
だから、わかったような口をきくつもりはありません。しかし、取り巻く環境に限っていえば、不安定な環境で生活している子供たちが多くいると感じました。現在も23万人もの避難者がいて、84,794名が仮設住宅で生活しています。
避難先で普通の生活が送れるよう支援することも、とても重要です。阪神淡路大震災のときは、4 年以内に90%の被災者が仮設住宅生活から出る事が出来ました。だからやろうと思えばできるはずです。しかし東北大震災では、この4 年間で仮設を出られたのはたったの30%です。「東日本大震災からの復興のための施策を実施するために必要な財源の確保に関する特別措置法」であるはずの復興税は、東日本大震災とは直接関係ない事業やプロジェクトに予算が使われいます。宇宙開発、自衛隊、沖縄の道路工事、反テロ対策、シーシェパード対策、東京のオリンピックスタジアムなどなど。
被災者の生活再建のための直接支援が大変重要だと思います。子供達のためにも家族のためにも。
次は、ある母親と子供の甲状腺検査についてのお話です。
『当初は1週間も避難しておけば戻れるだろうと考えていました。まさかそのまま家に帰れなくなるとは思っていませんでした。同居していた親からは「政府が大丈夫と言ってるんだから大丈夫!」「二度と帰ってくるな!」と言われ、大喧嘩を経ての避難でした。その後、実はメルトダウンしていたこと、日本国民には知らせていないのにIAEA には1日2回も予測情報を報告していたということ等を知りました。福島原発から130 km も離れた茨城県に居たのに私も子どもも甲状腺に異常が発見されました。もう少し早く避難していれば子どもを病気にさせることもなかっただろうに、と後悔しています。』
親たちは迷い悩み、罪の意識に苛まれ、苦しんでいることがおわかりになりますか。その苦しんでいる親達が非難されることがあります。 これは典型的な文化的遺伝(ミーム)です。福島県の問題を、精神的なこととすり替えられてしまうのです。母親達の心配が子供達の健康を害している原因だと。しかし、日本の過去の歴史に水俣病の闘いがあります。認知されるまで長い年月がかかりました。原爆投下による被爆者もそうです。だからこそ、私達は同じ過ちを犯してなりません。全力でサポートしていく必要があるのです。
学術調査もまだ不十分な状況です。現在の福島県における調査結果については次の通りです。事故当時18歳以下の子供達に110件(2015年5月現在127件)の甲状腺がんが見つかり、87件の摘出手術が行われています。日本国立がんセンターによると、1999年から2008年に10歳から14歳の甲状腺がん率が10万人に0.2%と報告されています。専門家ではないので統計からの判断は非常に難しいのですが、福島県の場合、異常数ではないでしょうか。
最後に、福島県の子供達、そして家族に今何が必要でしょうか。まずは、避難の権利、安全な環境で生活ができることです。健康被害に関しては、甲状腺のエコー検査のみではなく、血液検査やその他の関連マーカテスト、心臓、呼吸器などの検査も含めた健康診断を受けられるよう希望します。
ある母親の心の叫びを聞いていただき、私の講演を終わらせていただきます。
「国には, 放射能被爆による健康被害のリスクを認め,放射線物質により汚染を受けた地域に住んでいた住民に,避難の権利を認め,相応の支援や補償を行うべきであると思っています。」
本日は有り難うございました。
Q&A: 英国における原発是非についての質疑応答
問題は2 点あります。メディアによる原子力を取り巻く論議の欠落です。もう1点は、原発を推進の理由です。この二つは密接につながっています。同じ情報を何度も流すことによって、人々の意見は誘導されます。英国の主要報道機関は、素晴らしい人材をもち、一見公平な報道をしているかのように
も見えます。しかし、最終的には「原発は必要」という意見に辿り着かせます。これは非常に重大な問題です。
今日紹介した母親達や、私を含めた他の親御さん達の体験から何も学ばなければ、英国でも子供達が危険にさらされることになります。日本の状況は、原子力規制機関、原子力産業、政府、そして重要なのは報道機関、いわゆる「原子力村」と呼ばれる組織が原発事故の情報を操作しているように見えます。果たして英国はどうでしょう。大して大きな違いはないと思います。たとえば、福島第一原発事故直後、英国政府機関と産業機関が事故の対応を検討し、「チェルノブイリ原発事故と同じではない」と合意したことをガーディアン紙が暴きました。「重要なことは、この事故はチェルノブイリとは違うことだ」と政府のチーフ科学者がBBC 放送で言っていたのを、私も福島県で聴きました。普段から私は陰謀説などは唱えることはありません。しかし、この件については偶然ではないと思います。英国政府の対応は、とても考えさせられます。
私達は英国のメディアの責任について真剣に考える必要があると思います。ヒンクリー原発新設についても、議論が全くされていません。ヒンクリー原発の記者会見を見ました。事故が起こった場合、誰が責任を取るのかという質問がたった一回あっただけで、福島原発事故については一言もふれること
はありませんでした。英国の報道機関も日本と同じ過ちをおかす危険な状況にあります。英国で原子力に対する議論は全く不十分です。メディアは原子力について反対推進両方の意見を、もっと報道する責任があるのです。
講演:英国人画家ジェフ リード
平成27年3 月10日
会場:英国 国会議事堂
平成24年3月福島第一原発事故が起こった時、私は8歳の息子と福島県に住んでいました。事故後、福島県内外の子供達と原発事故体験によるコラボレーション・ポートレート作品をつくりはじめ、「ストロング・チルドレン・プロジェクト」を立ち上げました。作品は100点におよびます。
毎年3.11の時期に、3重災害(地震、津波、原発事故)を体験された被災者の方々に心を寄せることは、とても大切なことです。そして現在も毎日、数千人の原発従業者の方々がフクイチで収束作業を行っています。その中には、行方がわからなくなった方々もいます。実際、労働者の健康管理はどうなっているのでしょうか。2011年6月時点で、すでに1300人もの労働者の所在が不明となっています。彼らは現在もフクイチで働いているのか、そうでないのか、情報公開をする必要があります。
今夜は、原発事故時に福島県に住んでいらしたご家族や子供たちのお話しをさせていただきます。現在も福島県に住んでいらっしゃる方、県外に避難された方、それぞれいらっしゃいます。私の説明よりも当事者の実際の言葉を聞いていただく方が、福島県で何が起きているのか、皆様により伝わると思います。
まずは、大工さんになるために福島県に移住していた女性です。
「川内村に夫婦で新居を建てました。子どもが2人生まれて家族4人になり,大工と建築設計の仕事を営みつつ,春には山菜を採り,夏には渓流で泳いでヤマメを釣って食べ,秋にはキノコやクリを採り,冬には薪で暖をとる,そのような暮らしをして,四季のめぐりや自然の恵みに何より生きる豊かさを
感じていました。」
彼女の生活は、私の福島県での自然と共生きる体験を思い出させます。福島県には、人とのつながりを大切にしたパワフルで温かい地域社会が存在していました。それは、厳しい状況にある現在も続いています。
次にフクイチから60 km 離れた郡山市在住の母親のお話です。
「郡山市に帰って来て、丸2年になります。子供たちは、やっぱり、地元がいいようで、帰って来てからは、生き生きとしています。私も、帰って来てからは、なるべく放射能は、気にしないようにしていま
す。でも、やっぱり、水道水は、料理には使えません。もらった野菜も、わからないようにして捨てています。笑顔でもらい、ゴミ箱に捨てる。 今は普通になりました。放射能を気にしてるのは、おかしいような雰囲気があるからです。神奈川の短大に行っている娘が、就職の相談をしてきますが、帰って来るな
と言っています。さみしいですが、下の子供たちも、なるべく早く郡山から出そうと思っています。
特に真ん中の子供は、サッカーをしているので、砂ぼこりを吸います。すごく心配ですが、サッカーが大好きなので、やめろとは言えません。
放射能に関するニュースを見ると、とても不安になり、やっぱり、避難した方がいいのか、悩みます。
でも、やっぱり、ここに居たいのです。ここが、一番安らげる場所なのです。
放射能さえなければ…。いつも思います。
子供たちが、病気にならないよう祈りながら、ここに住んでいます。」
子供たちのために福島県で生きていくということに違和感を感じる人もいるかもしれません。私は100名の子供たちとコラボポートレート作品を作りました。本当に素晴らしい子供たちで、それぞれ違う状況で生きています。
だから、わかったような口をきくつもりはありません。しかし、取り巻く環境に限っていえば、不安定な環境で生活している子供たちが多くいると感じました。現在も23万人もの避難者がいて、84,794名が仮設住宅で生活しています。
避難先で普通の生活が送れるよう支援することも、とても重要です。阪神淡路大震災のときは、4 年以内に90%の被災者が仮設住宅生活から出る事が出来ました。だからやろうと思えばできるはずです。しかし東北大震災では、この4 年間で仮設を出られたのはたったの30%です。「東日本大震災からの復興のための施策を実施するために必要な財源の確保に関する特別措置法」であるはずの復興税は、東日本大震災とは直接関係ない事業やプロジェクトに予算が使われいます。宇宙開発、自衛隊、沖縄の道路工事、反テロ対策、シーシェパード対策、東京のオリンピックスタジアムなどなど。
被災者の生活再建のための直接支援が大変重要だと思います。子供達のためにも家族のためにも。
次は、ある母親と子供の甲状腺検査についてのお話です。
『当初は1週間も避難しておけば戻れるだろうと考えていました。まさかそのまま家に帰れなくなるとは思っていませんでした。同居していた親からは「政府が大丈夫と言ってるんだから大丈夫!」「二度と帰ってくるな!」と言われ、大喧嘩を経ての避難でした。その後、実はメルトダウンしていたこと、日本国民には知らせていないのにIAEA には1日2回も予測情報を報告していたということ等を知りました。福島原発から130 km も離れた茨城県に居たのに私も子どもも甲状腺に異常が発見されました。もう少し早く避難していれば子どもを病気にさせることもなかっただろうに、と後悔しています。』
親たちは迷い悩み、罪の意識に苛まれ、苦しんでいることがおわかりになりますか。その苦しんでいる親達が非難されることがあります。 これは典型的な文化的遺伝(ミーム)です。福島県の問題を、精神的なこととすり替えられてしまうのです。母親達の心配が子供達の健康を害している原因だと。しかし、日本の過去の歴史に水俣病の闘いがあります。認知されるまで長い年月がかかりました。原爆投下による被爆者もそうです。だからこそ、私達は同じ過ちを犯してなりません。全力でサポートしていく必要があるのです。
学術調査もまだ不十分な状況です。現在の福島県における調査結果については次の通りです。事故当時18歳以下の子供達に110件(2015年5月現在127件)の甲状腺がんが見つかり、87件の摘出手術が行われています。日本国立がんセンターによると、1999年から2008年に10歳から14歳の甲状腺がん率が10万人に0.2%と報告されています。専門家ではないので統計からの判断は非常に難しいのですが、福島県の場合、異常数ではないでしょうか。
最後に、福島県の子供達、そして家族に今何が必要でしょうか。まずは、避難の権利、安全な環境で生活ができることです。健康被害に関しては、甲状腺のエコー検査のみではなく、血液検査やその他の関連マーカテスト、心臓、呼吸器などの検査も含めた健康診断を受けられるよう希望します。
ある母親の心の叫びを聞いていただき、私の講演を終わらせていただきます。
「国には, 放射能被爆による健康被害のリスクを認め,放射線物質により汚染を受けた地域に住んでいた住民に,避難の権利を認め,相応の支援や補償を行うべきであると思っています。」
本日は有り難うございました。
Q&A: 英国における原発是非についての質疑応答
問題は2 点あります。メディアによる原子力を取り巻く論議の欠落です。もう1点は、原発を推進の理由です。この二つは密接につながっています。同じ情報を何度も流すことによって、人々の意見は誘導されます。英国の主要報道機関は、素晴らしい人材をもち、一見公平な報道をしているかのように
も見えます。しかし、最終的には「原発は必要」という意見に辿り着かせます。これは非常に重大な問題です。
今日紹介した母親達や、私を含めた他の親御さん達の体験から何も学ばなければ、英国でも子供達が危険にさらされることになります。日本の状況は、原子力規制機関、原子力産業、政府、そして重要なのは報道機関、いわゆる「原子力村」と呼ばれる組織が原発事故の情報を操作しているように見えます。果たして英国はどうでしょう。大して大きな違いはないと思います。たとえば、福島第一原発事故直後、英国政府機関と産業機関が事故の対応を検討し、「チェルノブイリ原発事故と同じではない」と合意したことをガーディアン紙が暴きました。「重要なことは、この事故はチェルノブイリとは違うことだ」と政府のチーフ科学者がBBC 放送で言っていたのを、私も福島県で聴きました。普段から私は陰謀説などは唱えることはありません。しかし、この件については偶然ではないと思います。英国政府の対応は、とても考えさせられます。
私達は英国のメディアの責任について真剣に考える必要があると思います。ヒンクリー原発新設についても、議論が全くされていません。ヒンクリー原発の記者会見を見ました。事故が起こった場合、誰が責任を取るのかという質問がたった一回あっただけで、福島原発事故については一言もふれること
はありませんでした。英国の報道機関も日本と同じ過ちをおかす危険な状況にあります。英国で原子力に対する議論は全く不十分です。メディアは原子力について反対推進両方の意見を、もっと報道する責任があるのです。
by fukushimakyoto
| 2015-07-11 13:17
| 福島からのメッセージ