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# by fukushimakyoto | 2011-07-23 13:30 | 主催イベント案内&報告

原発避難者の集い 京都 
苦しみを抱え込まず、避難者同士で確認
「避難という選択は正しかった」

週刊MDS 2011年07月08日発行 1189号

http://www.mdsweb.jp/doc/1189/1189_06a.html
 
 6月25日、京都で暮らす原発避難者をつなぐ集いが開かれた。今後のネットワークづくりへの弾みとなる感動的な集いとなった。なによりの成果は、避難者同士が「逃げてきた」という罪悪感や家族を残してきたことへの負い目を払拭し、避難という選択肢が正しかったことを確認し合ったことだ。

 「うつくしま☆ふくしまin京都」をタイトルにした避難者の集いは、「京都の原発避難者が集まれる場をつくろう」と企画され、「被災者本人にしか分からない痛みを、一人で抱え込まずに、共有しませんか」と呼びかけられた。

 手探りでつながり求めて

 会場ほぼ満杯となる約60人が集まった。多種多様な支援者、サポーターが参加した。生活保護ケースワーカー、保健師、精神保健相談士、保育士、医者。コピーライターから「車が必要ならいつでも連絡を」と申し出る人まで。

 避難者を囲む茶話会のグループ交流の冒頭は、「サポーターの方が多い。避難者がもっといると思ったのに」という話題になった。主催者の一人、奥森祥陽さんは「行政は避難者の資料を持っているが、個人情報保護を口実に教えてくれない。取り組みは手探りとならざるを得なかった」と報告。集いの案内チラシは避難者が住むと思われる府営住宅などにポスティング。直前になって福島ナンバーの車に注目すればよいことを発見。駐車場を回って福島ナンバーの車のワイパーにチラシを挟み込んだ。

 交流では、避難者が自らの抱える不安や苦しみを包み隠さず語った。

 「80歳の親は『この年で知らない土地に行くよりも』と近くの避難所を選んだ。一人で自炊していると思うと苦しいだけ。早く帰った方がいいのかなとも思う。京都弁を聞くだけで孤立する。つらい。それに言う機会もなかった。私たちは忘れられるのが一番こわいんです」

 「戻りたいと思うけど、向こう(福島)は何も変わっていない。政府の情報に屈したくない。何も知らないで抱え込んでいる人が多いと思う」

 ネットワークのスタート

 共通するのは、放射能汚染からの避難だ。

 茨城県から子ども5人と避難してきた夫婦は「6人目を妊娠中だった。放射能が怖くて、仕事もやめて、京都に来た。やっと住む所を確保した。でも行政は私たちを被災者扱いしてくれない。茨城県だからだ」と行政の対応を批判する。

 前夜車のワイパーのチラシを見て参加した福島市の女性は「福島市ではなかなか逃げ出せない。あの山下俊一(県健康アドバイザー)がデタラメを言いまくって、逃げることが悪いという雰囲気をつくっている」と紹介した。

 郡山市の20代の女性は、親を残して自分ひとりだけで避難してきたことにずっと戸惑いを抱え込んでいた。集いにはその母親も参加し、「この子は親のことを気にしているが、そんなことないのに」と説得。南相馬市から家族で避難した女性からも「南相馬では『あの人、逃げた』と言われる。男性の抵抗も大きい。でもあなたの選択は正しかったの。命をつなぐ女性として避難という道は絶対に正しい」。20代の女性は感激の涙をぬぐうことはなかった。

 交流会は避難者同士が久しぶりの福島の言葉で語り合う場に。サポーターはやりとりをじっと聞き入った。

 参加した原発避難者は7家族、11人だった。集いの最後に、お互いがメールアドレスや連絡方法を教えあった。不安を抱えての参加だったが、別れ際はさわやかな笑顔で手を振り「じゃー、またね」。

 奥森さんは「2人で始めてやっとここまできた。ネットワークのスタートです」。次回は7月23日午後、関西名物のたこ焼きパーティの予定だ。
# by fukushimakyoto | 2011-07-08 00:00 | 主催イベント案内&報告

奥森@事務局です。
6月25日に開催した「第1回うつくしま☆ふくしまin京都ー避難者の集い」の報告です。
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 6月25日、京都で原発避難者のネットワーク「うつくしま☆ふくしまin京都」がスタートした。このネットワークは、福島から避難してきている20代のKさん(男性)、Iさん(女性)と京都のサポーターが3回の相談会を開き準備してきたものだ。

 当日参加した避難者は7家族11人。
 交流の中では、「周りの人が話す京都弁を聞くだけで孤立する。これまでつらさを話す機会がなかった。忘れられるのが一番怖い」「戻りたいと思うけど福島は何も変わっていない。政府の情報に屈したくない」「茨城から放射能が怖くて避難してきた。京都で何とか住む家を確保したが、仕事は見つからない。行政は私たちを避難者として扱ってくれない」など、それぞれが抱える不安や苦しみを出し合った。

 放射能汚染からの避難について、南相馬から家族で避難してきた女性は、「南相馬では逃げ出したと言われる。男性の抵抗も大きく避難したくてもできない人が多い」と話した。さらに、両親を残して自分一人で避難してきた20代の女性に対して、「命をつなぐ女性として避難を選択したことは絶対に正しい」と話しかけた。

 この集いの一番大きな成果はこの点にあるといえる。避難者どおしが放射能汚染からの避難は正しい選択であったということを確認しあったことはきわめて重要である。

 次回の「うつくしま☆ふくしまin京都」は7月23日に開催する。子どもたちも楽しめる企画としてたこ焼きパーティも行う。

 さらに多くの避難者に参加してほしいと考えています。集いでは放射能問題の学習や行政への要求、要望などについても話し合いたい。
# by fukushimakyoto | 2011-06-26 02:22 | 主催イベント案内&報告

第1回交流会が新聞で報道されました!
Blogに転載させていただきます。

福島避難者 交流の会
府職員同席 不安や要望語る

読売新聞 2011.6.26

 東日本大震災で、福島県から府内に避難してきた被災者を支援する会「うつくしま☆ふくしまin京都」が25日、下京区のひと・まち交流館京都で開かれ、府職員やボランティアらが避難者の不安や要望を聞くなどして交流を深めた。

 福島県からの避難者5世帯9人が参加。府職員の奥森祥陽さん(52)が4月上旬に、同県会津若松市の避難所の支援に行った際に、帰りのバスの中で避難者と知り合ったことがきっかけで「京都で福島県民が集まれる場を作ろう」と企画した。

 同会で、奥森さんは「福島は原発問題があるのでほかの被災地と違う。同じ立場の避難者が集まって少しでも安心して生活できるネットワーク作りができれば」とあいさつ。サポーターの保健師や府職員ら20人が夏バテ防止策や府の緊急雇用対策などについて説明した。

 その後、テーブルを囲んで避難者が現状について話し合い、「残してきた家族が心配」「日がたつにつれて戻りたいという気持ちが大きくなった」など不安な気持ちを打ち明けた。またサポーターへの要望として「聞かれると全て答えてしまうのが東北人。気持ちをくみ取りながら接してもらえれば」「福島県の職員にも来てもらってサポートしてほしい」などと話した。

 避難者で伏見区の府営住宅に住む小松太さん(26)は「同じような悩みを言い合えてすっきりした。今後も継続して集まりたい」とほっとした顔を見せた。7月23日にも会を開く予定。

 問い合わせは、同会事務局(090・8232・1664)まで。

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京都へ避難した福島県民で交流・つどい
京都民報 2011.6.25

 東日本大震災で被災し、京都府内に避難している福島県民らが交流する機会をつくろうと「うつくしま ふくしまin京都」(実行委員会主催)が25日、京都市下京区のひと・まち交流館で開かれ、約60人が参加しました。

 このつどいは、京都府・市の職員有志らが中心になって開いたもので、避難している福島県人同士がつながり・交流したいと要望したことを受けて開かれたもの。行政の支援策や生活保護、国民健康保険の減免制度などの説明をはじめ、健康、精神面での相談、京都の暑さへの対処法の紹介などが行われました。

 福島県を中心に、茨城県など他県の避難者も参加、子ども連れが目立ちました。見知らぬ土地での生活や不安などについて実情を訴えました。
 福島県浪江町から来た男性(53)は、「まわりに福島県の人がおらず、困ったことがあっても相談することができない。放射能に脅かされ、ふるさとに戻れない不安な気持ちは福島の人たちでしかわからない」と述べました。

 福島市から2歳の子どもを連れて来た女性は、「夫は仕事があるので福島に残り、子どもと両親とともに京都に避難してきました。先が見えない不安でいっぱい。福島県民同士で相談できるような機会がもっとほしい」と訴えました。
 つどいの主催者らは引き続き交流・支援を行っていく予定です。
# by fukushimakyoto | 2011-06-26 00:00 | 主催イベント案内&報告

第1回交流会のプログラム_a0224877_115320.jpg

# by fukushimakyoto | 2011-06-25 13:31 | 主催イベント案内&報告